2013年02月02日

ルーマン社会システム理論 ゲオルク・クニール(6)

ルーマンの社会理論の解説の第6回目です。
前回は、マトゥラーナが導入したオートポイエーシスの概念に触れましたが、今回はその応用です。だんだん複雑になってきましたが、このあたりがルーマンの味がでてくるところなので頑張って理解しましょう。

過去の記事に関してはルーマン社会システム理論-ゲオルク・クニールのタグを参照ください。

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概要
3.心的システムのオートポイエーシス
ルーマンにおけるオートポイエーシスの構想の一般化
・ルーマンの理論的発展の第二段階の特徴は、一般システム理論におけるパラダイムの転換を社会学に適用しようとするところにある。
→ルーマンは社会システムを自己準拠的-閉鎖的なオートポイエーシス的システムとみることによって、オートポイエーシスという構想を直接受け継いでいる。

・ルーマンの見解によれば、生命システムと社会システムだけがオートポイエーシス的に組織されているのではない。
→それと並べて、彼は、心的システムつまり意識システムをはじめとするさまざまな種類のシステムをあげている。

・オートポイエーシスという概念は生命の概念を定義するために導入され、用いられているが、この概念をさらに抽象化するのが得策であろう。
→オートポイエーシスという概念は、システムという統一体の生産と再生産の自律的な諸形態の探求をうながすものであり、さまざなに異なった仕方で、それぞれに固有なオートポイエーシスのあり方を実現する可能性を無視しないようにさせるのである。

・ルーマンは一般的な統一的なオートポイエーシス概念を、さまざまな種類のシステムを記述するためにもいている。
→しかし、ゲゼルシャフトが大ざっぱに一種の生物学的な生き物ととらえているというようなことが、主張されるのではない。
・オートポイエーシスという構想が個々の種類のシステムのあいだにある区別と差異を抹消するものではないということを指し示している。

・ルーマンが用いる一般化されたオートポイエーシス概念は、徹頭徹尾、システムの諸要素を生産することによるシステムの自己産出と自己保存という意味をもつものとして定義される。

・オートポイエーシス的システムは、はたらきにおいて閉鎖的なシステムであって、その構成要素を回帰的な過程そのもののなかで作り出す。その場合に、閉鎖性は、開放性に対する対立物としてではなく、開放性にとっての条件として理解される。

心的システムのオートポイエーシス
・まず、心的システムのオートポイエーシスについて考えてみよう。
→ここで心に留めておかなければならないのは、ルーマンが心理学者ではなく、社会学者だということである。

・心的システムは一種のテストケースとしての役割を担っており、これを手がかりとして、われわれは、オートポイエーシスという構想の一般化とそれに続く再特殊化の試みを吟味し、明らかにすることができる。

・意識システムはオートポイエーシス的にはたらいているとルーマンは主張している。
→このことは、心的システムが回帰的過程のなかで自分の構成要素を自分の構成要素から継続的に産み出し、そのような仕方で自分を統一体として自己産出し自己保存しているということを意味している。

・心的システムに特殊な要素を、ルーマンは思考内容ないし表象と呼んでいる。
→思考内容ないし表象は出来事であり、したがって現れた瞬間にたちまち消え失せてしまう要素である。

・意識は意識状態から意識状態へ、思考内容から思考内容へと浮動する。
→ルーマンが意識をオートポイエーシス的システムととらえるのは、それが不断に新たな思考内容を生み産み出すことに従事しているからである。

・ルーマンがオートポイエーシス概念を、徹頭徹尾、生産という意味に持ちていることを、強調することが重要である。
→意識システムは回帰的過程のなかで施工内容から思考内容を生産する。けれども生産という概念は消して無からの創造と誤解してはならない。
→オートポイエーシス・システムは環境から一定の供給に依存している。

・オートポイエーシスということで問題になるのは、システムの統一性とシステムを成り立たせるすべての要素が、システム自身によって生産されるということだけなのである。

脳と意識(1)創発的秩序レベルとしての心的システム
・心的システムは、とりわけ、それに対応する脳の活動の過程に依存している。
→けれども、というよりも、だからこそ、意識は人間の脳や脳波や脳細胞の活動と等置されてはならない。
→脳はシステム理論的に言えば、意識の環境のなかに位置している。このことは、意識が自分自身の諸要素つまり思考内容や表象を、統一体としてみずから制作するのであって、それらの要素を環境からシステムへ導入するのではない、ということを意味している。

・この自体は次の二つの考察によって明らかにされうる。

・第一に、脳はと脳の活動は測定できるが、この測定は、そこで働いている意識が何を考えているのかを明るみにだすものではない。

第二に、意識が生産するそれぞれの思考内容からは、どんな頭脳活動の家庭がその際に必要とされるかは明らかにはならない。

・脳は意識に近づけないし、意識も脳に近づけない。こうした理由から、ルーマンは意識は脳に対して創発的な秩序レベルをなしているという。
→創発性という概念は、新しい水準の秩序の出現を指すものであって、これは、物質的・エネルギー的下部構造の特性からは説明されえない。

・脳は思考しない。脳はいかなる思考内容もいかなる表象も生産しない。
→思考内容ないし表象は意識システムがみずから生産した究極的統一体であって、それ以上には分解されえない。

脳と意識(2)構造的カップリング
・意識と脳のこうした特殊な関係をルーマンは構造的カップリングという概念で言い表している。
→構造的にカップリングされたシステムは、互いに依存し合っている。

・構造的カップリングという言葉は、システム間の一定の依存性/非依存性の関係を表しているのである。

・意識と脳との関係について言えば、これは次のようなことを意味している。
→すなわち、いかなる意識も、それに対応する脳の活動がなければ、そのオートポイエーシスを継続することができないにもかかわらず、あるいはもっと適切な言い方をすれば、まさにそうであるからこそ、意識と脳とは別々に働くのである。

・意識ないし経験の流れについてのフッサールの記述は、ルーマンよりもずっと以前に、意識の循環的閉鎖性を明らかにしていた。
・にもかかわらず、ルーマンが定式化したようなオートポイエーシス的システムの理論を近代の主観哲学や意識哲学と一緒にするのは根本的な誤りであろう。
→デカルトもカントもフィヒテもフッサールも、人間の意識を世界の主体として、すなわち存在するすべてのものの根底にあるものとしてとらえている。それに対してルーマンは、意識を心的システムとして規定している。
→すなわち、ルーマンにとって、意識は、認識するほかの諸システムと並んで存在する一つの種類のシステムである。

・近代の意識哲学や主観哲学の内部でも、社会的な諸過程を記述しようとする企ては行われている。
→しかし、その場合に常に問題とされていたのは、社会事象をそれに参加している行為者たちの意識の働きに還元することであった。
→ルーマンは、そうした路線から外れた理論構想を定式化している。

おおきな流れ
ルーマンはオートポイエーシスの適用範囲を広げるために、より抽象化して再定義する。
一般的統一的なオートポイエーシスを理解するには、心的システム(意識システム)がいいテストケースである。
心的システムは思考内容を要素とし、思考内容が思考内容を生産する。意識は脳に対して創発的な秩序レベルをなしており、またその関係は構造的カップリングといえる。

論点
ルーマンの考えるより一般化されたオートポイエーシスという概念が心的システムに適用される様子をみました。思考内容が思考内容を生産するというのは、フッサールのイデーン―純粋現象学と現象学的哲学のための諸構想 (1-1)あたりを読むと理解しやすいでしょう。
今回のキーワードは
・心的システムのオートポイエーシス性
・創発的秩序レベル
・構造的カップリング
となりますのできちんとそれぞれの言葉がどのようなこと、どのような事態を指しているのか理解しなければなりません。
最後の方で触れられましたが、社会的な諸過程を意識の働きに帰結させないというのもルーマンの社会システムの特徴といえるでしょう。それがどのような感じなのかを想像しておくと、次回以降の話の理解につながるとおもいます。
posted by きょうよくん at 18:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 社会 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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