2013年01月22日

日本人のための憲法原論 小室直樹(5)

小室先生の「日本人のための憲法原論」の5回目です。
余談ですが、この記事が一番アクセス数が多く、小室先生の本を愛読している私としては嬉しい限りです。

前回は、カルヴァンの説いた予定説の大革命の話でしたが、今回はそれに引き続き民主主義や資本主義がどのように導入されていったかという話です。
タイトルは「民主主義と資本主義は双子だった」です。


過去の記事はこちらのタグを参照ください。

日本人のための憲法原論

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概要
人間は便器である
・予定説では、人間が最後の審判において救済されるか否かは、すでに決まっているというわけですが、この教えをさらに突き詰めて考えていくと「人間は神の奴隷にすぎない」という結論がでてくる。
→つまり、自由意思などまやかしである。
→これを明確に述べているのが、パウロの「ローマ人への手紙」でです。

・「どうして自分が救われないのか」と神に尋ねるのは、土が「どうして自分は便器になったのか」と陶器職人に聞くようなものだということです。

なぜ、神は人間を救うのか
・編集者:なぜ神様は人間を救ったりするんですか。
→いい質問です。それについては、パウロは明確にこう述べています。「ご自身の豊かな栄光をお示しになるため」。つまり、、人間を救うのは、神様の力の素晴らしさを示すためであるというわけです。堕落しきった、人間でさえも救えるのであれば、神様の力が無限大であることが明確に証明できるというものでしょう。

・編集者:でも、本当にこんな宗教から民主主義がうまれてくるんですか。先生の話を聞いているとキリスト今日くらい民主主義とはかけはなれた宗教はないようにおもえるのですが。
→確かに、予定説では、人間には権利もなければ自由もない。近代民主主義とは正反対です。

・では、キリスト教、ことに予定説がいかにして民主主義の土壌となったかをこれから説明することにいたしましょう。

笑止千万「子どもの人権」
・まず、民主主義とは何かを明確にしておく必要があります。そこでまず、大切になってくるのが「人権」に対する理解です。
・人権と民主主義はワンセットであり、切ってもきれない関係にある。

・困ったことに日本人は、この人権という言葉を実に理解していない。その最たる例が、「少年の人権」などという考え方です。

・私に言わせれば「少年の人権」など笑止千万。バカもいい加減にしなさいといいたい。
→編集者:いいんですが、そんなこと言って。
→本当のことを言って、どこが悪い!

・そもそも人権というのは、万人に平等にあたえられるもの。人間でさえあれば、誰にでも無条件で与えられるというのが人権の概念です。
→子供だけに認められ、大人には認められない権利があるとしたら、それは子供の人権とは言いません。それは子供の「特権」です。

・少年法をめぐる議論はあくまでも、子供に特権を与えるべきか否かの問題です。

最初に特権ありき
・近代民主主義がでてくるまで、地球上のどこにも「人権」などという概念はなかった。
→人権の代わりに腐るほどあったのは「特権」です。

・中世が特権だらけの社会であったので、王様といえども自由に振舞うことができなかったことはすでに述べたとおりです。
→しかも、中世は伝統主義が支配する社会ですから、その特権は親から子供に受け継がれていった。
→こうした事情は、絶対王政が成立したあとも基本的にはかわりません。

・ところが、予定説を信じる人々が登場したことによって、そうした特権は「人権」へと変貌した。一部の人だけが特権を持つのではなく、誰もが同じ特権を持っている。それを人権と呼ぶようになった。

王様も領主も神の奴隷
・なぜ、1000年も続いた中世の社会が、予定説によってあっという間にくつがえったのか。

・編集者君、予定説を信じたプロテスタントというのはどんな人たちだったかね。
→編集者:信仰の無限サイクルう、つまり朝から晩まで神様のことを考えている人たちですね。
→では、そんな人たちにとって、現世のことはどのように見えるでしょう
→編集者:要するに「どうだっていい」という感じでしょうね。信仰オンリーなんですから。
→そのとおり!そこが大事なところです。

・どんな人間だって、偉大な神様に比べれば、けし粒以下の存在に見えてくる。そして、この世の決まり事など、大したことはないと思えてくる。

・それまでの、ヨーロッパの人にとっては、王様や領主というのは、途方もなく偉い人に見えた。
→ところが、予定説を信じると、神様の目からみたら、王様も自分も大した違いはない。しょせん神様の奴隷にすぎない。

・編集者:そこで人間が平等であるという考えがでてくるわけですね。
→人間は神の下にあって、みな平等である。したがって、人間が持っている権利もまた、皆同じである。

予定説は「革命のすすめ」?
・しかし、大事なのなそれだけではありません。社会を見る目さえも変わってくる。

・予定説を信じると、伝統主義もまた色あせて見える。
→なぜなら、神の絶対を人事ているプロテスタントからすれば「昨日まで、そうやってきたから」という理由では納得できない。彼らにとって何より大事なのは、それが神の美心に沿っているかどうかだけです。
→だから、神様のためなら社会の仕組みなんてぶち壊して、作り替えても構わない。
→編集者:つまり革命だ。
→そう!近代の革命は予定説の産物だった。

革命を起こした総理大臣の子孫
・予定説が近代民主主義をつくり出すバックボーンになったことを示す、最も目覚しい例はイギリスのピューリタン革命です。

・プロテスタントの人たちにとっては、王が生まれながらに尊いなどという考え方は、彼らからしてみれば信じるわけにいかないものです。

・ピューリタン革命は、当時のチャールズ1世が絶対王権を振りかざしたことに対して、議会が反発したことから始まるのですが、騒ぎは激化して内戦が勃発し、オリバー・クロムウェル率いるピューリタンの独立派が主導権を得て、ついには国王を処刑してしまいます。

・クロムウェルけは堂々たる王党派の特権階級だった。ところが、その王党派出身であるオリバー・クロムウェルでさえ、母親の影響で熱心なピューリタンになると、「王様を殺しても許される」と考えるようになった。

民主主義の扉を開いた「人民協約」とは
・クロムウェルはピューリタンの信仰に目覚めて、ついには「国王殺し」をしたわけですが、しかし、思想の鋭さからいえば、まだまだ上があった。「水平派」と呼ばれる人たちです。

・この水平派の考え方では、その名のとおり、万人は平等なのだか選挙権も等しく与えるべきだという主張を持っていた。
→この考え方を、もりこんだきわめて民主主義的な成分憲法案「人民協約」をクロムウェルたちに認めさせようとしたわけです。
→さすがのクロムウェルでさえ、この水平派の考えについて行けなかった。

・こうして、革命が成立すると、まずクロムウェルが行ったのは革命軍全員による会議です。

パトニーノ大論争
・この会議で行われた激論は、「パトニーの大論争」と言われています。

・「イングランドで生まれたすべての人間に選挙権を」という水平派の主張に対し、クロムウェル側の代表者アイアトン将軍は「万人に共通する権利など、あるはずがない。財産を持っていない人間が、国政に口を出すべきではない」と猛反対した。

・当時の感覚からすれば、アイアトン将軍のほうがごく一般的な反応です。
→中でも重要なのが、アイアトンのいった「財産による区別」、とりわけ土地による区別でした。これが中世の常識です。

・水平派の主張は、天動説をひっくりかえして、地動説を唱えるようなもの。だからコペルニクスと同じように、水平派の人々は迫害された。
→平等や人権という概念が定着するにも大変な時間がかかった。それくらい人権という概念は人類にとって馴染みのない、受け入れがたいものだったということができるでしょう。

・いったん生まれた「平等」「人権」という概念は、けっして失われることがなかった。

資本主義の起爆剤
・予定説が誕生した結果、作り出されたのは民主主義ばかりではありません。それと同時に近代社会を支えるもう一つの柱、すなわち近代資本主義がうまれた。

・近代資本主義が成立するためには、プロテスタンティズムという起爆剤が必要でした。
→この歴史的事実を見事に言い当てたのが、マックスウェーバーでした。彼の不朽の名著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」においてこのことを立証しました。

陶朱・倚(*実際はケモノヘン)頓の富
・資本主義は、産業が発展し、資本が蓄積されていれば、自然に生まれてくるものと思われています。しかし、考えてみれば、何も近代のヨーロッパをまたなくても、それ以前にも経済が発展した場所はあるし、大富豪もたくさんいた。
→そのいい例が中国です。

・史記の貨殖列伝の中に大富豪となった人々の話が収められているが、陶朱の物語が有名です。

なぜ、中国やアラブでは資本主義が誕生しなかったか
・さて、陶朱・倚頓の物語は、今から2000年以上も前のはなしですが、その後も、中国ではどんどん経済が盛んになり、宋の時代になると中国の経済力は世界一位になります。
→しかし、それだけ巨大な経済が成立しても、とうとう中国には資本主義は発生しませんでした。これはアラブ世界も同じです。

資本否定の思想が資本主義を作る
・大塚久雄博士は、これを「前期的資本」という用語を使って説明しています。

・元手がどれだけ一箇所に集中しようとも、そこに「資本主義の精神」が注入されない限り、それはいつまでたっても前期的資本のままで、近代資本主義の精神にはならない。

・ウェーバーはこう記しています。「近代資本主義の萌芽は、オリエントや古典古代とはちがって、徹底的に資本主義に敵対的な経済学説が公然と支配してきた地域に求められなければならない」

・近代民主主義の平等や人権という概念がうまれるには、人間の価値を徹底的に否定する予定説が必要だった。近代資本主義の成立もまた同じです。

利息を禁じたキリスト教
・そもそもカルヴァンが現れる以前から、キリスト今日は金儲けを許さない宗教でした。

・ちなみに、こうした考え方は儒教にはありません。

儒教と独占禁止法の共通点
・そもそも孔子の儒教とは、君子たる政治家が天下、すなわち中華世界の統治を行うためにある教えです。
→儒教では個人を相手にしません。商人は商人で、勝手に稼業に励めばよろしい。そんなことは、天下国家を考える儒教とは関係のない話です。

・個人の利潤を認める儒教ではいつまでたっても資本主義は現れない。

世界の一割を所有したフッガー家
・さて、キリスト教が利潤追求を戒めていたとはいっても、規制はゆるんできて、中世カトリック教会となれば抜け道だらけになった。
→その象徴的な例がイタリアのメジチ家であり、南ドイツのフッガー家です。

・これだけ巨大な前期的資本が誕生しても、大金持ちがどんどん協会に献金したため、カトリック協会は何も言わない。

カルヴァンのルール
・カルヴァンの予定説では金儲けはどのように考えられていたか。
→カルヴァンの思想は、キリスト教を本来の姿に戻すというものですから、もちろん富は絶対によろしくない。生活は徹底的に質素にして、ほんの少しの楽しみでもさけるべきであるという考えでした。

・カルヴァンの出した禁令がそれを物語っています。
→服装の制限に、酩酊の禁止。獣肉や鶏肉、パイを食べることも禁止。音楽も駄目、彫刻も駄目。
→クリスマスやイースターのお祭りも「それは聖書にかかれていない」と禁止しました。

KGBをしのぐ秘密警察
・この結果、ジュネーブの生活からすべての娯楽は排除されたといっても過言では会いません。

・当時のジュネーブはカルヴァン主義の牙城だから、熱心な信者はそれを当然のことと受け止めた。また、不信心な連中を取り締まるためには、宗教評議会という名の秘密警察が作られたのです。

・このカルヴァンのルールを守らなければ、もちろん刑罰が与えられました。死刑ならまだ軽い。もっとも重い罰がありました。「破門」です。

・教会から見放されたら救済の可能性はゼロ、永遠の死が待っています。

予定説を信じれば、カネも貯まる
・他の土地のカルヴァン主義者たちも大同小異の生活を送っていました。

・カルヴァンの教えは「徹底的に資本に敵対的な」思想であった。
→ところが、ここにおいて、ひじょうに面白い皮肉が生まれるのです。
→カルヴァンの言うとおり質素に暮らしていたら、もちろんカネは使いません。それと同時に収入が増えてくるのです。使わないのに稼げば、ほおっておいても裕福になる。

「天職」の誕生
・いったい、なぜ予定説を信じると、その人は以前よりも裕福になってしまうのか。

・中世の人々は安息日以外もあまり働いていなかった。日銭を稼いだら、あとは家でゴロゴロしていた。
→キリスト教特有の金銭倫理があるから、必要以上に金を稼ぐのは悪徳だと思われていた。
→ところが予定説を信じている人たちは違います。

・予定説においては、すべての人間の人生はあらかじめ神がさだめたもうたこと。ならば、自分の職業もまた神が選んでくださったものに違いないという考え方が生まれたのです。
→これをプロテスタントでは「天職」もしくは「召命」と言います。

・自分の仕事が天職であれば、怠けてはいけない。働いて働いて働くことこそが、神様の御心に沿う方法。

働かざる者、食うべからず
・もともとキリスト教には「労働こそが救済の手段である」という思想がありました。

受験勉強とキリスト教
・労働することが修行につながるという、このキリスト教独特の考え方を「行動的禁欲」とウェーバーは呼びます。
→禁欲と言うと仏教では「欲望を絶って、何もしない」ことを意味しますが、キリスト教では行動、つまり働くことが禁欲であると考えるのです。

・こうした行動的禁欲は、プロテスタントが出てくるまでは修道いんの中にいる僧だけのものでした。

・予定説では「救済されているかどうかは、人間には知りえない」とされていました。
→だから、自分の仕事を転職だと信じて一所懸命はたらいても、本当のところ、自分がすくわれているかどうかは自信がないわけです。そういう状況に置かれると、人間は気が狂ったように働く。

隣人愛が定価販売を造った
・さらに、もう一つ付け加えれば、労働はキリストが教える隣人愛の実践にもつながります。
→なぜなら、他人が求める商品やサービスを提供すれば、それだけ隣人愛を行ったことにもなる。だから、ますます働くことは正しくなった。

・そこで、隣人愛をどれだけ正しく行ったかの指標となるのが、利潤、つまり設けです。
→キリスト教は儲けを固く否定しましたが、だからといって、無料でものを配れとまでは言わない。商品やサービスを適正な価格で売るのであれば、差し支えない。

・ヨーロッパでも、商人は書いてを見て値段を決めていた。客が金持ちならば高くふっかけるし、あまりもっていないようなら、そこそこの値段で売る。

・プロテスタントにとって商売とは、隣人愛の実践なのですから、貪欲はいけない。そこで掛け値なしの定価販売が急速に普及するようになったというわけです。

エートスこそが、すべてのカギ
・予定説の教えは、あくまでも信仰、つまり人間の内面に関わる問題を取り扱っているわけですが、これを真いると、外面に現れている行動そのものも変わってしまう。
→このことを指して、ウェーバーは「エートスの変換」と言っています。

・エートスというのは、日本語に訳すと「行動様式」ということになりますが、行動様式といったのでは単に外面の行動だけを指すように思われかねません。

・エートスは、内面的で測定不能な行動も含みます。

・カルヴァン主義の信者になれば、紛れもなくエートスが変わる。

資本主義の精神とは
・ウェーバーが言っている「資本主義の精神」というのも、要するにこうしたエートスのこと。
・いくら前期的資本が作られたとしても、資本主義は生まれない。カネが資本主義をつくるのではなく、エートスの変換こそが資本主義を作る。これがウェーバーの言いたかったことです。

・その資本主義のエートス変換の媒体、触媒となったのが、かの予定説です。

・予定説によって、人々の間に「労働は救済の手段であり、隣人愛の実践である」という考えが生まれた。そして、外面的には毎日毎日、働くようになり、利潤を追求するようになる。これが資本主義誕生の第一段階。

・資本主義が出てくるには、さらに第二段階のエートスの変化が必要である。
→そのエートスを一言で表すとすれば、目的合理性です。
→つまり、ただがむしゃらに働くのではなく、利潤を最大にするという目的を多声するために、何をすべきか合理的に考えるという精神が生まれた。これこそが資本主義精神の真髄といっても差し支えありません。

・目的合理性を突き詰めて考えていけば、要するに目的は利潤を最大化することにあるのだから、先祖代々の商売をしている必要すらない。
→編集者:なるほど、そこで産業革命がおこって、新しい産業が続々と生まれてくるわけですね。

・さらに利潤最大化という目的を達成するには、日常の経営そのものもまた合理的でなければならない。
→複式簿記という近代的な簿記システムが生まれてきます。

・こうして、私たちの市tっている近代資本主義がどんどん育ってくる。

日本人に民主主義は理解できるか
・資本主義にしても、民主主義にしても、その根っこをほっていけば、必ずキリスト教に突き当たる。
→実はこれ以外にも大きな問題があるのです。それは契約という概念です。これも聖書から生まれた考え方なのです。

・日本人は民主主義、資本主義を理解し、体得しているのか。そのゆうしい問題を考える上で契約は、避けて通ることのできない問題です。

大きな流れ
人間は神の奴隷という考えから、「平等」や「人権」という考えが生まれた。水平派の「人民協約」にその考えをみることができる。
また、資本主義も予定説によって生まれる。そこでは質素倹約と労働に務めることの肯定により、富が蓄積され、また、エートスの変換による目的合理性の追求による合理化が推し進められた。
エートスの変換こそ、前期的資本と近代資本主義を分かつものである。

論点
どのようないきさつで民主主義や資本主義が予定説より導かれたか理解していただけたと思います。
ウェーバーのこのあたりの話は、いま並行して取り上げているルーマンの社会システム理論につながるところですが、理解社会学の一端を垣間見れたのではないでしょうか。

さて、論点を与えたいとおもいます。
否定は本質的か
民主主義は、人間を神の奴隷とし、その神の視点である遥か上の高みからみると王も領主も農奴変わらないというところから生じたとあります。同様に、資本主義も利潤を否定するところからはじまります。
そこで、本書では、資本主義も民主主義が人間の価値を否定する思想からうまれたように、人権利潤を否定する思想が必要であったと、その類似性を指摘します。
これをどのように考えるか。
質素な生活や、勤労あるいは目的合理性を与えるようなエートスの変換は否定からしか生じない(あるいは生じやすい)と考えるなら理由はなにか。エートスの変換には過去の生活を否定するよなものが必要なのか。
あるいは、単なる偶然の共通点だっただけなのか。

5章に関しては以上です。

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posted by きょうよくん at 19:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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