2013年01月08日

日本人のための憲法原論 小室直樹(3)

前回は裁判の話や、リヴァイアサンの話でした。今回は議会の話です。
先日取り上げた小林よしのりさんの動画でもそうですが、社会と憲法というのは深いつながりがあり政治などの理解にも憲法の知識というのは役立つものだとおもいます。
逆に、言論の自由など基本的な概念を取り違えると、とんちんかんな話をしてしまいますし、教養人たるもの押さえておきたい知識ですね。
では、「日本人のための憲法原論」(小室直樹)第3章 すべては議会からはじまった をまとめていきたいと思います。
過去の記事はこちらのタグを参照ください。

日本人のための憲法原論

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概要
民主主義と憲法とは関係ない!
・さて、これから「いかにして近代デモクラシーは『国家とはリヴァイアサンなり』と考えるに至ったか」について説明したいと思う

・「民主主義と憲法とは、本質的に無関係である」
→編集者:憲法は国家を縛り、国家の横暴から国民を守るためのものだとおっしゃったではありませんか。デモクラシーを守るために、憲法があるという話はどこにいったのですか。
→それはそれ、これはこれ。

・付け加えておけば、議会制度も、多数決の制度も民主主義とは何の關係もない。
→ことの起こりから言うと、憲法や議会などという制度は、デモクラシーという考えが生まれるずっと前からあったものです。
→されに付け加えるならば、これらの制度が作られたのは、むしろ民主主義とは全く反対の理由からでした。ところが、あとになってから憲法や議会制度がデモクラシーの中に取り入れられたものだから、みんな「民主主義イコール議会制度」「民主主義イコール憲法」と思ってしまっているのです。

国王はいても、国家がなかったヨーロッパ
・では憲法はいつどのような理由から作られたのか。
・今日の私たちが知っているような「国家」ができたのは、さほど昔のことではないという事実です。

・現代のわれわれがイメージする「国家」、すなわち近代国家を特徴づけている3要素とは、国境・国土・国民の三つです。
・以前は「国」はあっても、国境はなく、国土もなければ、国民もいなかった。それどころか、国語すらなかった。
→日本人にはこのことを理解するのが指南の業。なぜなら、日本は、島国で海に囲まれています。

・ヨーロッパ中世のころから物語を始めることにしましょう。
・国王と言うと、みなさんは絶大なる権力を持っている人物を想像するでしょう。
→ところが、中世の国王というのはけっして大きな権力を持っていなかった。

奴隷と農奴はどこが違う
・なぜ、中世の国王は不自由な存在だったか。

・古代のローマ帝国が崩壊したのちのヨーロッパは、四分五裂どころではない、千分万裂くらいの状態になってしまいました。
・限られた土地を支配するために封建領主と呼ばれる権力者がいて、その下では農奴と呼ばれる人々が領主のために働き、土地を耕していた。

・この農奴というのも日本人にはなかなか理解しにくい存在です。農奴と奴隷の違いがわかりますか?
→編集者:農奴という名前があるから、農業をする奴隷ということでしょう?
→やはり分かっていないようだね。

・農奴の場合、土地とセットになっているという点です。
→奴隷の場合は牛と馬と同じように扱われていたので、もし奴隷が子供を造ったとしたら、持ち主はその子供を親から引き離して、自由に売ることができた。
→これに対して、農奴の場合は家族を「バラ売り」することはできません。というのは、濃度は土地を耕すのが主たる仕事ですから、もし子供を売り払ってしまったりしたら、次の代に農耕する人がいなくなる。農奴には、そうした特権がありました。

・このわずかな特権が 手がかりになって、農奴たちはやがて自由になっていくからです。

王様は学級委員長
・中世のヨーロッパには、自分の土地と武力を持った領主が大小取り混ぜてたくさんいたわけですかが、このように封建領主が群雄割拠していたのでは、何かと不安定です。
→仲裁してくれる人がなければ、すぐに実力行使。戦争という話になってしまうからです。
→そこで、中世のヨーロッパでは、やがて国王が誕生することになります。

・この時代の国王は、日本の戦国大名のように実力でほかの領主を圧倒したというわけではなくて、そもそもは領地をめぐる争いの調停役として誕生したのです。
→この時代の国王を「同輩中の首席」と表現するのは、そのためです。
→編集者:学級委員長みたいなもんだ。
→だから、国王の「権力」たるや限られたものだった。

・それぞれの領主は、いわば独立事業主のようなもので、その領地の支配権は領主が持っています。だから臣下であっても、領地内のことに国王は口出しすることはできません。ましてや、その土地に住んでる農奴に対して、国王は何も命令することもできない。

・王様自身にはたいした実力も権力もなくて、国としてまとまっていたのは、王と家来との間に契約が結ばれていたからです。

契約を守るのが「いい家臣」といわれるわけ
・主従関係を結ぶというと、日本人の感覚では、家来になった以上は無条件で「主君のために身命を賭す」のが当たり前だと想像しまうますですが、ヨーロッパはまったく違う。
→主従の関係を結ぶ際に、王と領主とが契約を結ぶ。それが主従関係の基本になる。

・日本人の感覚では、家来は王という「人間」に忠実であろうとするわけですが、中世のヨーロッパの場合は「契約」に忠実であることが大切なのです。
→部下との契約を守る王様が「名君」であり、契約を守らない王様が「暴君」と呼ばれる。

日本の武士に「武士道」はなかった
・主従関係が契約に基づいていると聞くと、おそらく読者は「この当時の王様と家臣は随分ドライだったんだなあ」と思うでしょう。日本のように、人間関係で結びついている方がずっと安心できると思うかもしれません。
→それは、はたして正しいか。

・ヨーロッパの騎士道と日本の武士道を比較した場合、ヨーロッパの方が実際には王様の仇討ちが行われているのです。
→編集者:そんな馬鹿な。だって、日本の年末の定番といえばベートーベンの「第9」と忠臣蔵ですよ。君主に命を捧げるのが武士道精神ではないですか。
→たしかに江戸時代に仇討ちの物語は多い。しかし、その99.9パーセントは親の仇を打つという話です。武士が主人の仇を討ったという話は二つしかない。一つは忠臣蔵、一つは信長の仇を討った秀吉。
→そもそも、戦国時代には「主人の仇」という概念さえありませんでした。

・ヨーロッパ中世では、主従関係は契約に基づいています。その契約の中に「もし王が討たれたら、かならず仇を討つ」という項目があれば、それを実行するのは当たり前のこと。

中世ヨーロッパ理解の二つのポイント
・中世のヨーロッパを理解するうえで、重要なのは二つのポイント。
・一つは、中世の王国には国境も国土も国民もなかったという点。
・もう一つは、国王の力はとても制限されていたという点です。
→この二つのポイントをつなぐキーワードが「契約」なのです。

・まず、第一のポイント、つまり国境も国土も存在しなかったという話から始めましょう。
→王様と臣下との関係は契約に基づきます。一人の家来が二人の王様に仕えることがありうるということです。
→たとえば、フランス王から、ある土地を与えられた領主がいて、その領主が同時に別の土地をスペイン王から与えられたとします。
→これでは国境も国土あったものではありません。

・さらにもっと複雑なことが現実には起きています。それが、フランスとイギリスの関係です。
→13世紀のころ、英国王はフランスにおける最大の領主だった。つまり、イギリスの王様はフランスの王様から土地をもらっているわけですから、契約上はフランスの家臣です。
→たとえフランスの家臣であっても、彼はイギリスの王である。したがって王としては対等なのだから、フランス王の言うことなど聞く必要はないと言う理屈がなりたつからです。

・こうしたことからわかるように、中世ヨーロッパの王国には国境もなければ、国土という概念もありようもなかった。ましてや国民などいようはずもない。
→なぜなら、王の直轄地以外の農奴はみな領主のもちものであって、国王のものではないからです。

王様は中間管理職?
・さてもうひとつ重要なのが、国王の持っている権力はひじょうに限られたものだったということです。

・国王といえども、家臣たちが領主として支配している土地には口が出せいないということは、既に述べた通りです。
→さらにやっかいなのは、家臣たちとの契約です。
→王様は家臣との契約に縛られた存在であったということができます。

「永遠の昨日」が支配する中世
・これに加えて、国王にとってもう一つ手強い敵が「法」でした。

・法といっても、この時代の法は今日の法律とは違います。過去から続いてきた伝統や監修が、この時代にあっては「法」。べつの言葉で言うならば「慣習法」です。
→たとえ、どんな国王であっても、絶対に守らなければならないのが伝統であり、慣習法であって、これを破ることは許されない。

・中世の人々を支配した「伝統主義」を定義するならば、次のような言葉になります。
→「過去にあったことをただそれが過去にあったという理由で、それを将来に向かって自分たちの行動の基準にすること」
→伝統主義においては、とにかく昨日と同じことをやるのが正しい。

・これに対して私たちが「伝統は大事だ」という場合には「よい」という形容詞がぬけています。つまり、これは「よい伝統」だから大事にするということです。
→良い伝統とそうでないものを区別しようとする合理的的判断が働いています。合理的判断と伝統主義とは対極にあるものです。

・かくして、中性の国王は下は家臣、上は伝統主義の板挟みにあって、身動きがとれないという状況にあったわけです。
→中世がこのまま続いていたら、憲法はいりません。
→中性の封建制度を根底から揺り動かすきっかけとなる出来事が起こり、そのために歴史の法則が動くようになっていくのです。

ペストと十字軍が封建領主を没落させた
・中世の社会が解体していくきっかけとなったのは、農奴の人口激減でした。ことに決定的だったのがペストの大流行です。
→農奴が減ったことは、結果的に農奴の立場を有利にしました。

・さらに、領主たちに追い討ちをかけたのが、貨幣経済の発達です。
→はじめ中世の経済では、貨幣はあったものの、ほとんど使う必要がありませんでした。
→こうした経済を変えるきっかけの一つになったのが十字軍でした。新技術が十字軍によってヨーロッパにもたらされることになりました。
→こうしたこともあって、都市の商工業者という新しい階級がうまれます。そこで、さらに貨幣経済が発達していくことになります。

・封建領主は、基本的に自給自足で生活をしていたわけですから、そうした商品を買いたくてもたいした貨幣を持っていない。
→それまで労働で収めたいた地代が、生産物そして貨幣に変わることになったのです。

・生産物の地代なら、「生産量の何割」という形できまっていますから。生活はいつまでも厳しい
→ところが、貨幣地代なら、知恵を発揮して貯めることもできる。
→この結果、農民はどんどん豊かになっていきます。

・農民の数がさらに減っていけば、農民の領主への立場はさらに強くなる。そこで農民に甘くすると、さらにさらに農民の数が減っていく。
→この悪循環によって、中性の農民は解体していくことになり、領主の力はどんどん落ちていくことになった。

国王の新しい「金づる」
・こうした中世社会の解体をみて最もよろこんだのは国王です。
→家臣たちが没落していくのですから、国王の力は相対的に増していくことになったのです。

・国王も収入は減っていきますが、その収入減を補ってあまりあるほどの「金づる」が国王にはあった。それは何かといえば、都市の商工業者たちです。
→商工業者たちにとって封建領主は憎むべき存在です。そこで彼らは、同じく封建領主を嫌っている国王に目をつけた。
→すなわち国王に献金屋融資という形でカネを差し出して、「どうか我々の安全を保障してください」と頼んだ。

・カネさえあれば、国王は領主に頼らずとも自分で兵隊を雇うことができる。そうすれば、一層家臣どもとの差をつけられると国王は考えたのです。

常備軍、現わる
・こうして生まれたのが、常備軍です。

・領主たちの軍隊は、腕っ節は強いけれども、しょせんは愚連隊、烏合の衆です。
→これに対して、国王の常備軍は軍資金があるから、普段は軍事訓練を怠らない。

・常備軍を持った国王の力はいや増しに増し、そのおかげで商工業者たちはさらに発展し、としは大きくなった。
→編集者:いよいよリヴァイアサンの登場ですな。
→いやいや、まだ気が早い。

なぜ教会は堕落していったのか
・たしかに商工業者と結託することによって、王の力は強くなった。しかし、それでもなお領主、すなわち貴族たちには強力な切り札があった。それが伝統主義である。
→つまり、王は常備軍という実力を背景に新秩序を作ろうとしているが、それは慣習法を破るものだというのが貴族の言い分です。

・こうした貴族たちと同じように、国王の力の増大に不満を持っていたのが僧侶たちです。
→その教会とてまた貨幣経済に翻弄されて、内情はけっして楽とは言えない。
→そこで信者たちに免罪符を売りつけて、金集めをしていた。これと同時に、「売官」が横行するようになった。

・教会はどんどん堕落していくわけですが、その一方で国王の専横に反感と危機感を募らせるようになったのです。
→こうして中世の王国はやがて変質していき、等族国家になっていった。
→編集者:で、国王=商工業者連合軍VS貴族=教会連合軍の高層が勃発するわけですな
→たしかに、この二つの勢力はいよいよ激突することになった。だが、その戦いが行われたのは戦場ではない。
→それがすなわち今回の講義のテーマである、議会なのです。

議会が誕生した二つの理由
・こうして議会が開かれるようになったのは、けっして民主主義のためではないし、よりよい政治を行うためでもない。
→そもそもこの時代には国民がいないのですから、議会は国民の代表などではなかったのです。

・議会が開かれた一つの理由は王様の都合です。
→王様の側からすれば、もっともっと金があるに越したことはない。それには、領主たちの土地に税金をかけるのがてっとり早い。
・大勢いる大領主たちと契約を個別に改訂していくのでは、いつまで経っても終わる見込みがない。
→そこで考えたのが、議会です。
→つまり王様の側から見れば、議会招集は民意を等というよりも、むしろ金ほしさであったわけです。

・議会が開かれたもうひとつの大きな理由が貴族たちの都合です。
→好き放題に王が法を破るのでは、自分たちが伝統的に持っているさまざまな特権がどんどん脅かされる。
→だから、どうしても王に慣習法を再確認させ、自分たち帰属の特権を保証させなければならないと考えたのです。
→あくまでも自分たちの既得権益を守らせようと考えて、彼らは議会に乗り込んでいったわけです。

マグナ・カルタは「反民主主義の憲法」
・こうした動きの中で生まれたのが、本書のテーマである「憲法」です。
→ヨーロッパで最初に誕生した憲法は、イギリスの「マグナ・カルタ」とされています。
→イギリス人たちは、このマグナ・カルタこそ近代デモクラシーの原点であるかのように言ってますが、それはいくらなんでも言いすぎというものでしょう。
→そもそもマグナ・カルタが作られたのは、ジョン王があまりにも慣習法を無視したからでした。

・イギリスの貴族たちは「王は、われわれ貴族の既得権益と慣習法を踏みにじっている」と怒った。
→そこで63ヶ条の契約を作って、それを守るように王に要求したというわけです。

・マグナ・カルタには「自由民」という言葉が出てきますが、人口の9割を占めていた農奴はこれに含まれない。

・マグナ・カルタがまったく無価値かと言えば、そうではありません。
→マグナ・カルタでは国王もまた法を守る義務があることが確認され、また、自由民の範囲も時代が経るにしたがってどんどん広げられてきた。国王の行為が法に基づくものであるかチェックするための「裁判所」(パーラメント)がのちのイギリス議会になり、ついに議会の力は国王をしのぐほどになった。
→民主主義とはまったく関係なく作られたマグナ・カルタが原点となってイギリスの民主主義が生まれてくるのです。

多数決誕生の意外な舞台裏
・多数決もまた民主主義と関係なくうまれたのものです。

・ローマ法王位を空白にしておくのはよくないということから、ローマ教会では12世紀に多数決の原則が確立した。
→この多数決の方法が、やがて議会にも導入されたのは、全員一致で決めていたのでは、いつまで経っても税金が徴収できない。そこで、「多数決で認められたことは、全員の総意とみなす」と約束事を作ったに過ぎません。

南北戦争で多数決は定着した
・全一致の原則だったポーランドは、かつてはヨーロッパ有数の強国といわれていました。そのポーランドが18世紀になってロシアとプロイセン、オーストリアによって分割されてしまった
→その原因の一つが、ポーランド議会の非能率さにあったと言われています。

・多数決が民主主義で定着したのは、アメリカの南北戦争のころかもしれません。

・多数決は効率的に物事を決めるための、一種の便法です。

教科書が教えない「憲法」、「民主主義」
・編集者:議会や憲法が民主主義と関係ないなんて、学校ではおしえてくれませんでした。
→そこなんです、問題は。今の日本の学校教育では、こうした歴史的事実をちゃんと教えていないから「多数決で決まったことは正しい」などといった間違った常識が広まってしまっているわけです。

・といっても、「憲法や議会と民主主義は何の関係もない」ということを発見したのは私ではない。福田歓一教授という、政治思想史学者の大発見です。

大きな流れ
中世の国王は封建領主と法の制約によって権力が制限されていた。しかし、ペスト、十字軍によって、農奴の自由が拡大し、また貨幣経済が発展したことによって権力が増していった。
議会は、国王と封建領主が互の権力を拡大するための道具としてうまれたのであって、民主主義のために生まれたのではない。
また、憲法(マグナ・カルタ)も国王に法を守らせるためにうまれた。

論点
議会や憲法が(その生まれにおいて)民主主義とは無関係に発生したものであるということがわかったと思います。最後の小節で福田歓一さんに触れていますが、「政治学史」のなかで今回の内容の詳細な記述があるらしいのでもっと知りたい方は読んでみるのもいいかもしれませんね(ムズカシイらしいですが)。
・歴史の真偽のチェック
内容からすこし離れた論点です。
今回は歴史的な事実(らしいもの)の記述がほとんどで「へー、そうなんだ。」という感じです。
歴史的な認識に関してよく思うのですが、今回書かれている内容が真実なのかどうかというのはどのようにチェックすれば良いのでしょうか。
歴史学者であれば当時の文献をあたるのでしょうが、それができるのは限られた人間であって、ほとんどの人間は歴史に詳しいものの発言を参考にするぐらいしか無いように思います。
最近であれば竹島尖閣等々の問題も(もちろん政治的な問題も大きいですが)歴史認識の違いというのが大きなテーマであるとおもいます。
もちろん、いろんな人の意見を聞くのがひとつの手であるとおもいますが、もう少し踏み込んで、「〜〜という条件を満たしている文献は参考に値する」とか「○○のような文献はソースとして使えない」などと言ったことまでわかると発言者がきちんと信頼できるソースに準拠しているかを確認できるのではないかと思います。
歴史学を学んでいる人がいれば聞いてみたいところです。

・解釈の問題
上の論点は歴史的事実が確かかどうかという問題でした。一方で、事実から解釈を行い何が見いだせるかというのも大きな問題です。
今回取り上げた内容に関して言えば、不自然な解釈は見当たらなように感じますが、別の解釈は可能か。
読者の方々はどのように考えるたでしょうか。

三章に関しては以上です。
*間違いや疑問点、関連する考え、あるいはまとめ方のご示唆などがあればコメント欄にてお願いします。

政治学史

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posted by きょうよくん at 15:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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