2012年12月31日

日本人のための憲法原論 小室直樹(2)

小室先生の憲法学をまとめていきます。前回は憲法改正の議論の前に、憲法が死んでいるのか生きているのかを見て、死んでいるならそれを蘇らせる方法を探ろうという話でした。
自民党へ政権交代が行われ、憲法改正論議が行われている今だからこそ読むのにちょうどいいと思います。
このシリーズのほかの回は日本人のための憲法原論-小室直樹のタグを参照ください。
*この本は2001年に出版されたものであり、「最近」などの単語はその当時を指していることに注意してください。

日本人のための憲法原論

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第二章 誰のために憲法はある
概要
法律とは何なのか
・開講一番編集者に質問です。
・設問2 憲法とは誰のために書かれた法律か
→編集者:やっぱり日本の憲法なんだから日本人に対して書かれたものでしょう。
→不合格です。

・設問3 警報とは誰のために書かれた法律家
→編集者:泥棒をしたは行けないというのが刑法でしょう。やっぱり、これも国民のために書いてあるのではないですか。
→これも不正解ですな。

・設問3から答えていきましょう。
・法律とは何なのか。最低限理解すべきは「法とは誰かに対して書かれた強制的な命令である」ということ。
・「誰が誰に命令するか」というのが問題。「誰が」というのはわかりやすくて、法律の場合は、国家権力です。

・「誰に」命令するのか。これは法律によって違う。これを判別する一番手っ取り早い方法は「その方を違反できるのは誰か」を考えることです。

刑法は殺人や窃盗を禁じていない
・では、刑法とは誰のために書かれたものか。
・殺人の項を見てみると「人を殺した者は、死刑または無期若しくは3年以上の懲役に処する」とある。殺すなと書いてあるわけではない。つまり、刑法は国民のために書かれているわけではない。
→編集者:確かに理屈で言えばそうでしょう。でも、それが脅しになっているわけですようね。
→結果的にはそうよ埋めるかもしれないけれども、それは刑法の直接の規定ではない。

刑法を違反できるのは裁判官だけ
・刑法をやぶることができるのは誰か。それは裁判官だけ。
→裁判官が殺人を犯した人にたいして「懲役2年に処す」としたら、その裁判官はまさに刑法違反をしたことになる。

・さらに付け加えていえば、裁判官は法律に定められていないような罪をつくってはいけない。罪刑法定主義。
・憲法第31条に「何人も、法律の定める手続きによらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、またはそのほかの刑罰を科せれない」とあるのが、まさにこのこと。

裁判で裁かれるのは誰か
・さらに応用問題を出しましょう。
・設問4 刑事訴訟法は誰に対する命令か。
→編集者:これは簡単。ずばり検察官ですね。
→うーんさっきよりましになったけれども、まだまだ不合格。答えは行政権力に対する命令です。

・ここで念のため述べておきますが、裁判官は司法権に属し、検察官は行政権に属する。かつての左翼のいい方を借りれば検察官は「権力の走狗」ということになる。
→ところが、どういうわけか日本人はその権力の走狗たる検察官を信頼してやみません。

・さらに質問
設問5 刑事裁判とは誰を裁くためのものか
→編集者:それは言うまでもない、容疑者、つまり被告でしょう・・・・といった素直な答えでは不正解なんでしょうな。
→だいぶ、韓だけはよくなってきたようですな。お察しの通り、刑事裁判とは被告を裁くためのものではありません。

・刑事裁判においては、被告は有罪が確定するまでは無罪とみなされるというのが近代デモクラシー裁判の鉄則です。
・判決が確定するまでは、どこにも犯罪者は存在しないわけですから「犯罪者を裁く」という表現は本来ありえない。
→ではいったい刑事裁判は誰を裁くためのものか。
→それは検察官であり、行政権力を裁くためのもの。

「遠山の金さん」は暗黒裁判をしていた!?
・「刑事裁判とは、検察、すなわち行政権力を裁く場である」といのは近代裁判の大前提なのですが、これもまた日本人のよく理解出来ていないところです。

・日本人というのは、裁判を「真実を明らかにする場」と考えてます。しかし、それは近代裁判では通用しない。
→極論すれば、真実なんてどうだっていい。事件の真相など、知る必要はない!

・遠山の金さんなどは随分人気のあるらしいけれでも、これこそ近代裁判を否定する問題のドラマです。
→遠山の金さんなどは、場合によっては、刑事、検事、裁判官、弁護士の四役兼任。こんなべらぼうな話はありません。
→もし極悪非道な金さんがいたらどうなりますか。これこそ暗黒裁判中の暗黒裁判。
→ところが、日本人は今での検察官は悪を追求する善玉だと信じて疑わない。

・近代の裁判では要するに「検察官や刑事にろくな奴はいない。国家権力を背中にしょっている連中は何をしでかすかわからない」と考えるのです。
→いうなれば、検察=性悪説が近代刑事裁判の大前提。

「有罪率99パーセント」の恐怖
・ですから、刑事裁判では検察側に一点でも落ち度があれば、直ちにアウトです。
→鵜の目鷹の目で検察側の落ち度がないか調べるのが、裁判官の本来の仕事です。
→つまり、裁判官というのは、あたかも中立で公平な存在のように思われているけれども、本質的には被告の味方であって、検察の敵なのです。
→編集者:僕たちが思っている裁判のイメージと全然違いますね。
→そうでしょう。

・恐ろしいデータがある。日本の刑事裁判では告訴された事件のうち有罪判決が下される率はなんと99パーセント以上にものぼるという。
→99パーセントというのはどう考えても高すぎる。「本当に裁判官は仕事をしているだろうか」という気がしてくる。

デュー・プロセスの原則
・刑事訴訟法は刑法よりも大切な法律です。なぜなら、すべての行政権力を縛るルールになるからです。

・検察はその法律のあみに少しでも触れることが内容に行動をしなければならない。
→これを法律の言葉で「デュー・プロセス」の原則といいます。

・このデュー・プロセスの原則が徹底しているのが、アメリカです。アメリカの法廷小説で「復讐法廷」というものがある。
→この小説では、ある老人が黒人男性を射殺したところから話が始まる。
→この老人がその黒人男性ジョンソンをころしたのは、娘をレイプされさらに殺されたからである。
→ジョンソンは逮捕されるのだが、誰が見てもジョンソンが犯人であるということは明々白々。証拠もある。

なぜ、疑わしきは罰せずなのか
・しかし、裁判の結果はジョンソン無罪。
→なぜか。デュー・プロセスの原理を警察が破っていたから。

・おおかたの日本人は「そんなこと、どうだっていいじゃないか。動かし型証拠があるから、ジョンソンは有罪だ」と思うでしょう。
→でも、アメリカの裁判では彼は無罪。証拠があっても、デュー・プロセスの原理に照らして州法を守らなかった捜査当局はアウト、即座に法廷から退場です。

・編集者:そりゃあ、デュープロセスは大事かもしれませんが、ジョンソンが無罪なんてアメリカには正義はないのかという気がします。
→そう思うのが人情だろうな。それは、アメリカでも同じ。
→しかし、仮にこの裁判で裁判官が「今回は州法なんて関係ない」と行ったら、どうなりますか。
→「警察は場合によっては法律を無視してもよし」という前例ができたら、その後、無実の人がどんどん刑務所に放り込まれてもいいのですか。

・近代法の思想を一言で言うと「1000人の罪人を逃すとも、一人の無辜を刑するなかれ」ということにあります。
→「疑わしきは罰せず」という原則も、ここから誕生したのです。

法務大臣が死刑執行して、どこが悪い?
・ところが、日本にはこうした「法の精神」がいっこうに定着していません。マスコミですらしらない。
→その最たる例が刑事訴訟法475条。死刑の執行は法務大臣の命令による。前項の命令は判決確定の火から6ヶ月以内にこれをしなければならない。

・法務大臣がたとえ死刑に反対だろうと、無罪だと思おうと、そんなことは関係ない。
→ところが、現実に法務大臣が死刑執行の命令をだそうものなら、マスコミは非難轟々。社会の木鐸たるマスコミが「刑事訴訟法を破ってしまえ」と言っているのですから、何をかいわんやです。

・この異常さに気づいている日本人は、はたしてどれだけいるでしょうか。

言論の自由は、家庭にも職場にもない!
・編集者:それにしても、先生の講義を聞いてると、法律とういのは随分権力を信用していない。
→実は私が出した設問2に対する答えがそこにあるのです。

・憲法は国家権力すべてを縛るために書かれたものです。憲法に違反することができるのは国家だけ。
・政治家の言論に対して右翼団体が抗議行動をやったとする。この右翼は政治家の言論の自由を犯しているか。
→憲法が保障する言論の自由を侵害したとはいえない。
→編集者:それじゃあ、言論の自由なんてどこにあるんですか。
→憲法とは国家を縛るための命令だといったではありませんか。

日本人傭兵は憲法違反か
・確かに憲法には「表現の自由は、これを保証する」と記していますが、これは、国家から保障するということなのです。
→だから、法に訴えたかった、名誉毀損や脅迫、営業妨害などで告訴すればいい。

十七条憲法と日本国憲法はまったく別物
・先ほどいったように、近代法の根底には「権力はとにかく縛り付け、押さえておかないととんでもないことになる」という思想があるのです。

・トマス・ホッブスは近代国家を「リヴァイアサン」とよんでいます。
・国家権力(リヴァイアサン)が暴れだしたら、それを食い止める手はありません。
→何しろ近代国家には、軍隊や警察という暴力装置があり、また、人民の手から財産を奪うこともできる。さらに、人民は徴兵され、命を戦場に投げ出さなければならない。

・だからこそ、近代西洋文明は持てる限りの知恵を振り絞って、この怪物を取り押さえようとした。この知恵の一つが、罪刑法定主義であり、デュー・プロセスの原則だったりする。それでも、不安が残る。
→そこでさらに太い鎖をかけることにした。それが憲法というわけです。

大きな流れ
刑事訴訟法は行政権力を縛るものであり、裁判は検察を裁くものである。この点、日本人は検察は正義という感覚がある。
一方で憲法というのは国家権力を縛るものである。近代的な国家は巨大な権力をもつリヴァイアサンであり、罪刑法定主義やデュープロセスの原則で縛ってもまだたりない。そこで、憲法をつかって、暴走しないようにする。

論点
国家がリヴァイアサンであるという感覚というのが日本人には希薄であるというのは実感のあるところではないでしょうか。
林真須美や光市母子殺害事件の弁護を行った安田好弘弁護士が「人権派弁護士」と呼ばれることに違和感を感じるのもその一端があるのではないかと思います。
さて、そこで考えるべきは「罪人を野放しにすることと、国家権力を縛り付けること」のバランスだと思います。もちろん、罪を犯した人は罰せられるべきであるし、権力の暴走もあってはならない、なんとしても防止しなければならないことだと思います。
純粋に「あいつは悪い奴だ、許すわけにはいかない」という感情はそれはそれとして大切なことだとおもいますが、マスコミでどうも犯罪を犯したと思われる人が報道されたときどのような行動をとることが国益を守るのに与する行動でしょうか。
証拠等々に関して詳細な情報を持っているわけではないので判決が出るまでは推定無罪の態度で沈黙すべきでしょうか?
どうも報道を信じると犯罪をおかしていそうであれば、声をあげて許すべきではないということでしょうか?
どのように考えたらよいでしょうか。

第二章に関しては以上です。
*間違いや疑問点、関連する考え、あるいはまとめ方のご示唆などがあればコメント欄にてお願いします。
posted by きょうよくん at 15:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 政治 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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